面白く

面白くなりつつある。

私立高校へは、自身の理論がきっと役立つこと、それ以上に、自身の創造力と研究能力が役立つこと、しかし、これを伝えるのがかなり難しいこと、それでもやらざるを得ないのが、自分の進み方であることを明らかにしたいと思う。自分はまだ未熟ではあるが、何もできないわけではなく、できることがあるとすれば、自身の考えていることを教育で活かすぐらいだ。そして、生かすとすれば、私立高校が妥当だと思っているという話をしてみても良いかもしれない。

内的揺動

内的揺動は、インプットとアウトプットの連続の中で、出現してくる、一つの行為である。それは、スポンジに水を染み込ませ、そして、再び絞ることと状況的には同じである。

 自身の身体に経験を浸透させ、水を吸収するように、経験を吸収し、それを絞り出し、水を排出するように、身体から表現によって、経験を絞り出すのである。そして、この絞り出すことが、経験のアウトプットである。

 インプットとアウトプットの連続の中で、吸収と絞り出しが行われていくことになり、その連続を通して、私たちは、自身の身体から自己自身を更新していくことになるということができるのである。

学ぶことと表現すること

学ぶことはインプットであり、表現することはアウトプットすることである。この二つを、自身の展開に活用していく。それは、必ずしも本を読まなくてはいけないのではない。そして、表現は、何も芸術的でも、創造的である必要もない。ただ、思うことを書き留めるような気持ちで表現してみても良いのかもしれない。

 ここでは、自身の感覚を活用する。自身の感覚的体験に現れてくる経験を記述する。そして、その記述から前に進んでいくことができる。

 進み続けること、自身の能力を高めていくことに集中する。自身の能力の拡張の結果として、自身が行いたいこと、進んでみたい方向性が明らかになってくる。そして、そこを進んでみるのである。