制作と観照のあいだ

制作と観照、あるいは制作と思考の間のようなものはあり、その間には活動がある。この活動を推し進めるための哲学があっても良い。

ただ、元来哲学は思考の学問である。哲学化した段階で、もはや、それは、制作と思考の間ではなくなってしまう。

ただ、ほとんど哲学化されていないものとしての哲学はありそうである。それは、学問化以前の哲学、あるいは、生(なま)の哲学とでも言えそうな哲学はありそうである。そして、この領域で語られるべきことはあまりにも多い。

この辺の問題について、とにかく語って行くべきであるように思えてならない。