今感じているもの

感じているものを言語化するというのは、感覚する身体を、身体から排泄することである。身体を捨て、捨てることを通して新たな身体を獲得することである。そうすることによって自身に新たに現れてくる身体というのは確かに存在するように感じられる。

面白く

面白くなりつつある。 私立高校へは、自身の理論がきっと役立つこと、それ以上に、自身の創造力と研究能力が役立つこと、しかし、これを伝えるのがかなり難しいこと、それでもやらざるを得ないのが、自分の進み方であることを明らかにしたいと思う。自分はま…

生きづらさ

この生きづらさは何だろうか。なにか、大きなものに潰されるような感覚。確実に何かが足りていない感じ。 苦しいがどうにもならない。わかってもらえない感覚がある。それをわかってもらうということが自身の仕事になりそうだ。

作ることと作らないこと、能動と受動の間に何かがある感じがある。そこに、他者との共振性があるように感じている。

写真。

自分の感覚を動かすのに制作は活用できる。しかし、他にもある気がする。そうだ、写真である。写真を活用してみよう。

内的揺動

内的揺動は、インプットとアウトプットの連続の中で、出現してくる、一つの行為である。それは、スポンジに水を染み込ませ、そして、再び絞ることと状況的には同じである。 自身の身体に経験を浸透させ、水を吸収するように、経験を吸収し、それを絞り出し、…

学ぶことと表現すること

学ぶことはインプットであり、表現することはアウトプットすることである。この二つを、自身の展開に活用していく。それは、必ずしも本を読まなくてはいけないのではない。そして、表現は、何も芸術的でも、創造的である必要もない。ただ、思うことを書き留…

他者と関わり、話すこと

他者と関わり、話すことの中で、自身の状況を展開することができる。状況の中で、言葉が発せられ、その発することの中で、自身の身体状況が更新される。その身体状況の更新が、結果的に、自身の状況の展開になっていく。

料理となまの哲学。

例えば料理という場面を考える。料理というのは面白くて、様々な感覚をフルに使う。もちろん味覚が中心だが、視覚も聴覚も嗅覚も使う。が、実は重要になるのが触覚である。それは、触覚という舞台で一つの表現を行うことに近い。そして、その舞台で一つの芸…

制作と観照のあいだ

制作と観照、あるいは制作と思考の間のようなものはあり、その間には活動がある。この活動を推し進めるための哲学があっても良い。 ただ、元来哲学は思考の学問である。哲学化した段階で、もはや、それは、制作と思考の間ではなくなってしまう。 ただ、ほと…

金儲けの方法哲学。

どうすれば金儲けができるのか。ものすごく大きな謎だ。もうどうにもならないという感じでもある。 ただ金が欲しいだけなら、株でもなんでもやればいいと思うが、能力を使って金儲けするとなると少し違う気がする。 感覚的には、やはり、他者とつながった瞬…

言ったことないこと。

言ったことのないことを言うというのがなかなか良い。 お金儲けにおける身体感覚みたいなことも問題かもしれない。 もっとがっちりかきたいなあ。 制作は、プロデュース型の作品を作らねばと思うが、そのイメージは、なんとなくだけど、建築の形になるが、設…

哲学と金儲け。

どんなに動こうとしても、それが単なる測定誤差のようなものに押しとどめられてしまうような経験もある。こんな時には、自分が今まで感じて来てはいるが、語ったことがないようなことを語ると良い。 そこで、何かを語ってみたいと思う。 まず自分が感じてい…

身体の更新

身体を大きく更新し、そして、前に進み続けたい。もっと大きく前に進む。身体の全てが大きく変わってしまうような体験をしたい。

経験の速度。

経験の速度をまた少し遅くして行く必要がある。ゆったりさせたいが、どうするのか。 身体を緩やかに拡張しよう。

前に進み続ける仕組み

前に進み続ける仕組みというものがある。それは主に、アウトプットを活用した進み方である。自身の経験の中に、客観化されがたい経験を見出し、それを記述的にアウトプットするそうして、アウトプットし、そのアウトプットされたものから、新たな経験へと進…

感覚的には分かるけど、言葉にはなりがたいもの

分かっているけど言葉にならないものがある。そして、その最たるものが身体である。身体経験は言葉にはならない。あるいは、なりにくい。できるものは、あまりにも限られているものである。これを言葉にしていかなくてはならない。そして、その領域に自身の…

やっていきたいビジネスの内実

ビジネスを組織したい。何をやるのかが問題だ。 しかし、これを自分一人で考えるのは難しい。しかし、相談することもまた難しい。 今まで触れてきた他者の言葉の中から新しいビジネスを組織するしかない。とりあえず作ってみるしかない気ある。 手掛かりとし…

次の選択肢、行動

もうすでに動き始めているが、しかし、そこには、上手く発信、表現を行っていくことの行為がなければならない、上手く、他者に到達しなくてはならない。その他者の感覚が、いわば、自身の新たな行為の可能性になっていく。 私は、どのようにして他者を経験す…

哲学。

生きる状況を更新する哲学というものを考えておくことにしよう。

身体。

身体の調子があまり良くない。待つしかないということなのだけれども、何か、待つための技法があっても良いのではないかと思っている。 行動するのではない。作るのでもない。ただ身体に現れるものを、次から次へと流していくような工夫があっても良さそうだ…

物語哲学。

自分が、様々な経験を通して成長していく物語を作ろう。そして、それが始まるのはやはり、キーパーソンに会ってからだなという気がする。そこでの、自身の能力の拡張といったものを考えていくことにしよう。やはり、始まってはいないという事だろうか。

詩と小説。

うまく詩と小説の間で哲学にも見えるみたいな、奥ゆかしい文章は書けないだろうか。そうすると、やはりピカートなんかがきになるんだよな。良い感じに書ければ良いのだけれど。明日は、とりあえずピカートの文章を見てみよう。

課題。

課題設定はそこそこ明らかになってきたが、問題なのは記述様式だ。どんな記述様式にしようか。やっぱり物語風だといいのだけれど。

ことの始まり。

何も始まっていない感じがする。やはり、他者に会うところから全てが始まってきそうな気がするのである。

課題設定と記述様式。

課題設定は概ね明らかになった。あとは記述様式と研究方法だろうか。 記述様式については、普通の哲学の形にすると勝ち目がないので、小説的な形にしたい。自伝的記述で、自分が自身の創造性使ってどのように、経験を拡張し、能力を発揮していくのかという話…

内的揺動。

内的揺動という経験が問題になっている。内的揺動は自分の造語である。 内的揺動は学習と制作の間で現れる、身体の感触的変化である。それは、身体の内部感覚である。 身体の内部感覚はその場その場で変化する。そして、最も変わるのが、創造性を発揮する場…

本。

河本先生の文章や言葉は、自分が感じていることの95パーセントは表現している気がするが、5パーセント足りない。そのため、その5パーセントが気持ち悪くて、読むことができない。この5パーセントをどう言語化するのかということが問題になっている。 やはり…

課題設定。

能力の拡張の仕方。能力の拡張における、行為としての、入力と出力が問題になっている。 あともう一歩という感じなのだが、このあと一歩がどうにもならない。

課題設定。

アウトプットする瞬間に、自身の経験が進む瞬間がある。この経験が進むというのは、どこか自身の記憶が解消されること、そして、内的な他者の記憶が解消されることのように現れている気がする。 もっとうまく研究したいがなかなかなぁ。