数学の才能

 数学には何らかの才能があるように思える。高校の時、200点満点のテストで平均点が70点ぐらいだったとき、トップは180点くらい取っていた。このような状況を考えてみると、単に勉強をすると言うことだけでは実現されないような数学の才能があるように思えてならないのである。

 そして、高校を卒業し、大学、大学院と勉強をして、改めて、数学というものを考えてみたとき、初めて、数学の先生が時々言うような「数学は暗記ではない」ということが何となく分かってきたのである。そしてこのことが、数学の才能なのではないかということが言えるのである。

 もっとも数学において、全くもって暗記がないということはない。数学の定義を理解していなくてはそもそも数学という行為そのものを執り行うことはできない。しかし、その定義から、公式を考え、定理を考えていくということの中で、数学的なことがらを直観的に感じていくということが部分的には可能であることが分かってきたのである。そしてそのように数学を直観的に感じていくとき、私たちは自身の直観に与えられてこない内容を数学的言語を使って思考し、その思考内容を数式として表現していくことが可能になってきたのである。

 だとすると、数学における才能とは、それ自身、まさに自身の直観に与えられてこない、数学的内容を問いとして持ち、その問いを数学的言語において思考し、その思考内容を表現していくことにおいて、自身の数学を行うという行為を適切に執り行っていくことができるのである。だとすると、私たちにとって数学をするということは、それ自身、まさに自身の思考内容を数学的言語において表現し、その表現することを通して、自身の新たな数学知を獲得していくことであるということができるのである。そしてそのようにして自身の数学的思考において、自身の数学知を獲得していくことにおいて、まさに思考における知の創造を執り行っていくことができるということができるのである。そしてそのような数学的行為における数学知の創造を執り行っていくことにおいて、まさに自身の数学的才能における数学的行為を執り行っていくことができるということができるのである。